きんさいししえだきくわせいなんばんどうぐそく金彩獅子枝菊和製南蛮胴具足
西洋甲冑を日本で模作した、和製南蛮胴で江戸時代前期の作と推定される。特に胴甲の〈盾と向獅子〉は西洋紋章の様式ながら、〈唐草〉が「枝菊」へと和風に描かれるなど、洋と和が混在した特異な製作であり、他に類例の少ない藩主所用品として貴重な資料である。
西洋甲冑を日本で摸作した具足。他に例を見ない異風仕立の鎧である。 兜も異国風な出口形
胴甲重量10kg・兜2kg
西洋甲冑を日本で模作した、和製南蛮胴で江戸時代前期の作と推定される。特に胴甲の〈盾と向獅子〉は西洋紋章の様式ながら、〈唐草〉が「枝菊」へと和風に描かれるなど、洋と和が混在した特異な製作であり、他に類例の少ない藩主所用品として貴重な資料である。
西洋甲冑を日本で摸作した具足。他に例を見ない異風仕立の鎧である。 兜も異国風な出口形
胴甲重量10kg・兜2kg
籠手欠失・佩盾大破・黒威糸切損・臑当 は別物・面頬の垂は残存。
桃山期に流行した重量級で兜4.5kg 胴甲13kg、装飾皆無の実戦具足。
松山藩初代藩主 定行公の所用。奈良の甲冑師春田光定 作。非常に厚鉄の堅固な造りである。
六枚張の兜・眉庇は錆地に、銅金具で異国風に飾った、南蛮趣味の強い変わり兜である本来の頭立は虎の尾。
台帳には唐人笠形兜とある。頭立は当初は「虎ノ尾」、現在は「山鳥毛」が付く。
デザインと細工に優れた江戸中期の変わり兜。
兜鉢全体に黒熊毛を植込み、短かく刈り込む。正面は大きく鬼面を張懸けた変り兜である。
ヒダを取った頭巾を模ったスマートな変わり兜。
鉄板を打ち出し、兜鉢を頭巾に造形したもの江戸中期以降の洗練された変り兜である。
旗上部に横手を渡した、流れ旗の様式をとる。
上半に金紋、下半に尚武の和歌を記す。
高級な白ラシャ地に、背面と両脇の三ヶ所に黒羅紗紋、袖を黒熊毛で飾る洗練された意匠。
戦国時代から流行りの「ショウジョウヒ」の袖付陣羽織。当資料も江戸後期の作である。
藩主所用の御召口で紫紅白の段替わりに見事なしだれ桜が刺繍されている。江戸時代中期。裏地は紅平絹。
子方用唐織。東雲神能用に明治期の製作か。
紫地に花器(釣り鉢か舟)に桜と梅の文様。花器は鎖付き。釣り生け(釣り花)は船形、皿型、深鉢型などで胡銅や磁器の釣り花生けを床の間、座敷の天井、広縁の軒下などにつるして花を飾ったもの。釣り舟花入れは室町時代に、南方から渡来した食器に鎖をつけて釣り 舟に仕立てたのが始まりと言われる。
子方用唐織。元は江戸時代中期、明治期に仕立替られている。
高く張った頬骨、大きく見開いた目、跳ね上がった眉と口髭と、精悍さが溢れる壮年の武将用の面。「平太」とは鎌倉時代の武将荏柄平太胤長の顔を写したためといわれ、男の顔の標準を示している。肉色の赤平太と白色の白平太とがあり二番目物(修羅物)の『田村』(坂上田村丸の霊)『八島』(源義経の霊)『箙(えびら)』(梶原源太景季の霊)など、荒武者の亡霊に用いる専用面である。左の面は赤平太で、裏面に「天下一是閑」の刻印がある。
狂言面では、動物の役柄は、そのまま、動物の頭部に似せてつくられる。その代表が猿の面で、子猿をあらわすものは、狂言役者が子方として初舞台をつとめることの多い『靭猿(うつぼざる)』に用いられる。口元は開けたものと閉じたもの(阿吽)がある。